2012年5月31日木曜日

ひとりごとはんの1年半前の記述

「感じる力」
感じ方にも色々ある。
反日の感じ方は変態と言うしかない。
以下引用


2010年12月26日日曜日

僕は語ることにする(その9)

事務所に訪ねて来た人。
東京大学教授でTVで時々見た人。
姜尚中(カンサンジュン)さんだった。

「きみひどいね」

こんな静かな抗議の仕方をする人はいない。

静かにしゃべるのだが言う内容はキツイ。

「これは差別だよ・・」

どの文章のことを言っているのか分からない。

「なんのことを言っているんですか?」

・・・。

「ごまかすな」と一方的に言われた覚えがある。

どうやら僕の情報を聞いて来ているようだ。
相手の話を聞くと騙されると言われているようである。
会話の主導権を渡さないと言う態度が見えていた。

「こりゃ説明もできないな」

いろいろ静かな声で非難された。

僕は黙って聞いていた。

・・・。

後日事実が分かり・・
姜尚中(カンサンジュン)さんが謝りに来た。
ばつの悪そうな顔して謝っていた。

根が真面目な人なのだろう。
顔に全てが表れていた。

姜尚中(カンサンジュン)さんが帰りがけに言った。

「感じる力っていいね」

僕は美術館に行くと絵の置いてある部屋の真ん中に立つ。
惹かれる絵を見に行き何に惹かれたのかを言葉にする。
感じた事を言葉に置き換えることをする。
そして作者の名前を見る。

「おっ聞いたことがある名前だ」

そんなことを繰り返していると・・
ものを見る目が少しずつ養われて行く。
暮らしの中でも感じた事を言葉に変えるようになる。

僕はいつの間にか感じる力を伸ばしていたのだ。

知識でものを語る人は多い。
知識は本当は知恵の為にあるのに・・
知恵はものを見て感じたことを考える為にある。
感じる事ができなければ知識は役に立たない。

僕は生意気なことを当時語っていた。
なぜかいろんな人が真剣に聞いていた。
姜尚中さんもその話を誰かから聞いたようだ。

NHKの美術番組に出演している姜尚中さんを見た。
ちょっと僕を気にしてやりずらそうだった。
もしそうなら気にしないで良い。

了解が必要なら・・
了解しよう。

僕は公平性を欠いた発言。
選挙がらみの意見を言うなら僕は意見を書く。
公共の電波を偏った政治的な意図で使うのは問題がある。
その時は容赦なく攻撃をする。
それだけである。

いろんな角度から社会を見つめる人達は必用である。
知識やしがらみで語る時代は終わりにしたい。
感じる力を持つ人は素直な表現をする。
感じた事を言葉に変えるからだ。

真理を求める事になる。
真理を求め合う議論は考え合うことになる。

歓迎である。

感じる力が高まると・・
社会の負の連鎖にも目を向ける。
変えるべき所や手順が見えて来るのだ。

( - ゛-) 次も文化人の人を書く。

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