2011年1月30日日曜日

いつも恐ろしい記事内容が・・・今回は笑った



坂東忠信氏の今回の記事は笑いながら読んだ。

今日「たかじんのそこまでいって委員会」で
ソウナンチャラカンチャラと言う日本でビジネスをしている中国人が
西村真悟氏のしゃべったエピソードが嘘だと断定して反論した。
その時坂東氏の書いた記事を思い出し
「嘘なもんか!そちらの国の人はそういうこと平気でやるやないの!坂東さんも書いてらっしゃる!」と心の中で叫んだ!

話の筋はこうである。
知人の中学生の話。
その友人は中国人。
学校でポケットに500円が入っていた。
「何でや~・・・おかぁちゃんが入れたんかな・・・?」というと
傍にいた中国人の友人が「それは俺のもんや!」といった。
自転車の修理代が500円らしく…人ものでも自分の者と言う。
これと同じことが坂東氏が取り調べた中国人にも居た。


地下街で

厳しい寒さが続く日々。
数回見た光景。
地下街からあるビルの入口に
大きな立て看板を持って立っている会社員風の男性がいる。
トレンチコートを着て客呼び込みの看板に隠れるような恰好で黙って立っている。
隣には若い娘が黄色い大きな声をはり挙げて別の呼び込みをしている。
その対比が街角の絵になりそうは光景である。
そこは地下街なのであるが・・・トレンチコートの男は無言のまま。
つい先ごろまではスーツをきて会社員をしてた感じである。
年の頃は45歳前後(あてにはならぬが)
この寒空の中職を失してなのか・・・。
不況はますます深刻である。
職探しも思うにならず・・・きっと・・・
とにかく仕事をくれた看板もちの仕事に・・・と言うところか。
タクシーの運転者さんに聞くと昨年より悪くなってる・・・と。
そうであろう・・・地下街のその男性も・・・
きっと会社の倒産か・・・リストラか・・・
何かの事情で・・・職安に行っても雇用はなく・・・
そこを通るたびに頑張ってくださいと思う次第である。
政府の経済対策の無能は色んな形で国民に影響してる。
バラまきより雇用拡大の方策をやってほしい。
景気浮揚策の対策も・・・。

もう1月が終わる。早いものである。
寒さも厳しく
・・
・・・
この政権に望んでも仕方がないが
書かずにはいられない気持ちになった。

2011年1月29日土曜日

昭和初期に

神戸住吉で人類光明化運動を提唱した谷口雅春師

「生命の実相」(40巻)を世に出されその教えは燎原之火如く全国に伝わった。
釈迦・キリストの解かれた真理を明快な論方で
「真理は一つ」と解かれたのである。
教えの宗(もと)を説かれた宇宙を貫く大真理であった。


人間は「神の子」である
人間とは何ぞや
人間と神との関係
生命とは何ぞや
霊々妙々な実相実在世界や現象的に展開する興味深い体験の話
・・・・
・・・・・
・・・・・・・
宗教書でもあり
実践哲学書でもあり
人生の指南書でもある。

「人間は霊的実在である」と宣言された。
そして肉体人間と霊的実在人間とをハッキリ区別され
霊主肉従を示されたのである。

また・・・念の具象化も説かれた。

書き出せば切りがない・・・多岐にわたる内容である。

かの平沼赳夫代表が若かりし頃
この「生命の実相」の触れられ40巻を即購入された話はご自身のホームページに書かれてる。

そしてもう一つ忘れてはならないのは
限りなく日本を愛した愛国者であった。
その著書の中で
日本の霊的解釈や意義も説かれた。

また別の日に少しその内容に少し触れて行きたい。


筆者管理人は谷口雅春師に帰依している。
(宗教団体とは一切関係はなし)

書店で購入できる(アマゾン)本である。

全国支部長会議(100名)



たちあがれ日本が全国支部長会議 平沼代表「国民は保守に期待」    <産経新聞より>

2011.1.28 20:42
たちあがれ日本の平沼赳夫代表
たちあがれ日本の平沼赳夫代表
 たちあがれ日本は28日、全国支部長拡大会議を国会内で開き、自主憲法制定や議員定数削減を盛り込んだ平成23年重点方針を決めた。
 平沼赳夫代表は「国民は民主党や自民党でなく、健全な保守の第三の流れを期待している」と述べ、4月の統一地方選で勢力拡大を目指す決意を強調した。
 重点方針は、中国漁船衝突事件への菅政権の対応を批判し「自分の国は自分で守る仕組みを整備する」と明記。自主憲法制定に向けた保守勢力を結集するとしている。衆院議員定数を400人にまで減らし中選挙区制へ戻す案も提示した。
 会議には統一地方選の公認、推薦候補ら約100人が出席した。


期待したいですね。地方選ですそ野が広がり将来の礎を構築されることを祈ります。


2011年1月27日木曜日

忘れてはならない尖閣義士

東アジア黙示録さんの記事をご覧ください。
風化させてはならないこの事件の起訴猶予という処分をどうとらえるか・・・。
是非飛んで行ってください。

卑怯な奇天烈な事件でした。
風呂屋のサンスケセンゴクのしょうもない指揮で義士は今無職の素浪人になっておる。
是非、政治に打って出てほしいところである。
国士を活かせる道は・・・。

2011年1月26日水曜日

知恵熱




風邪で調子が悪かった。熱も出た。
その最中思った。
これは知恵熱じゃ!
これ以上知恵は要らぬのに・・・。


此の熱を民主の連中にあげたいものじゃ。
しかし・・・知恵が出てまともになるであろうか・・・
無理じゃ無理じゃ。
天地が逆さまになっても無理じゃ!


荒熱は引いたが微熱は少々。
こんな時は寝るに限る。

お休みなさいzzz・・・



2011年1月24日月曜日

チョコマン北澤


チョコマン歩きの北澤防衛大臣
吃驚した!
ホント(@_@;)

このニュースをご覧あれ。


国会議員講演会に防諜部隊投入、自衛隊員監視、防衛相直轄部隊が「不当調査」

2011.1.24 01:30 (1/2ページ)
 北沢俊美防衛相直轄の防諜部隊「自衛隊情報保全隊」が、陸上自衛隊OBの佐藤正久自民党参院議員や田母神俊雄元航空幕僚長の講演に潜入し、現職自衛官の参加状況を監視していることが23日、分かった。複数の防衛省・自衛隊幹部が明らかにした。本来任務とは乖離(かいり)した不当調査の疑いがあり、憲法で保障された思想・信条の自由を侵害する監視活動との指摘も出ている。
 自民党は24日召集の通常国会で、自衛隊行事での民間人による政権批判を封じる昨年11月の「事務次官通達」問題と合わせ、保全隊の監視活動についても政府を追及する方針。
 保全隊は佐藤、田母神両氏の講演のほか、田母神氏が会長を務める保守系民間団体「頑張れ日本! 全国行動委員会」の集会にも隊員を派遣。また、陸上自衛隊唯一の特殊部隊「特殊作戦群」の初代群長を務めた陸自OBの会合なども監視対象にしている。
 監視目的は現職自衛官の参加の有無を確認し、参加している場合は氏名も特定する。佐藤、田母神両氏の発言内容もチェックし、報告書の形でまとめ、提出させている。
 陸自朝霞駐屯地(東京都など)に本部を置く東部情報保全隊の隊員が投入されるケースが多いとされる。保全隊は陸海空3自衛隊の統合部隊で、監視実態が発覚しないよう、空自隊員の参加が想定される田母神氏の講演には隊員同士の面識がない陸自の保全隊員を派遣することもあるという。             <産経新聞より一部引用>


中共軍と同じと思ってるのだ。
中国共産党の軍隊と同じと。
民主党もしくは民主政権の軍隊と思ってるんだ
それとも北沢の軍隊?

はっはは~
自衛隊は天皇陛下と国民を守る軍隊じゃ!
またしくじった!
国民を欺くことは出来ぬ!

言論の自由と思想の自由は保障されておるのじゃ!
それも知らんかったのか!
学芸会お子チャマランチ政権!

北沢のちょこまか歩きはこんなことしかできん。
だからチョコマンなのである。

枝豆アヒル君はしっかり仕事しぃや~!
左翼辞めてあいこくしゃになりぃや~!
施政方針演説聞きとうない!
政権ほおり出してくれたらいい!
議員辞めてくれたらいい!




2011年1月23日日曜日

考えるだけでもウキウキ・・・しかし与謝恋節は自分の頭に簪(カンザシ)挿した

今日はmyガーデンなどと言うと庭と思われるであろうが、
実はベランダである。
狭いベランダはmyガーデン。
季節の花を植えている。
昨年はたちあがれが結党で夏には選挙になるので夏の新しい苗は植えずにいた。
思いかえしてもクラクラくる暑さであった。
7月からは薔薇が咲かず、寂しいガーデンであった。

選挙は何かお手伝いをしたいと思った・・・が・・・大した手伝いもできなかった。

与謝野氏が離党してから気持ちが落ち着き・・・寒くてもガーデンで過ごす時間が増えた。

鉢移動したり薔薇の枯れた枝を切ったり、
マグカップでコーヒーのたち飲みをしながら、
ココにあの鉢をもってきて・・あれをあちらになどと色々考えてはコーヒーを。
楽しいひと時である。


もう日が暮れようとしている。
しかし日暮れが少し遅くなって春に向かっているのを感ずる今日この頃。
楽しい春が楽しみである。
何が楽しい?
それは薔薇が咲き始める春。
花爛満の春。
もう考えるだけで心がウキウキである。


2011年1月22日土曜日

今日は気分がイイ(myフラワーを一挙公開)



平沼代表のコメントが出て嬉しかった。
サァ~これから前進前進!
 嬉しさのあまりこんなに沢山載せてしまった。

紅白のお祝い

皆さん!たちあがれを応援しましょうね!

今、民主党は内ゲバにいそしんでおります。
一つに纏まって外に向けて対処しなくちゃならない時期にこんな様ですよ。
お子チャマランチの民主党にうんざりですね。
大人の政治をやれる党はどこ?
そうです!
「たちあがれ日本」です。


2011年1月21日金曜日

やはり出来レース・・・マスコミよ!くたばれ!

                                                       
「たちあがれ日本」の平沼赳夫代表の与謝野氏とやりとりが明らかになった。
是非ご覧ください。
報道の在り方に不快感が・・・しかしますゴミだから・・・ね!
出来レースの感が語られております。


ようやくYouTubeをアップできた。
少し進歩した。

ひと時のおくつろぎ(坂東忠信編)




今日は坂東忠信さんの処へお飛びください。
6月17日

2011年1月20日木曜日

ひょんなことから・・・嘘のようなホントの話

我がブロ友漂泊さんがヴィットリア嬢のところで書かれたコメントに端を発し
鉄火ベッラ嬢がコメントを下さった。

太宰府にお参りしたヴィットリア嬢に漂泊さんがコメントで
「カンカラカンは菅原道真の子孫ですって」
ヴィットリア嬢もロゼも(@_@;)(ウソでしょう!」
とまぁ~こう云う具合になり候。
ホントの子孫をご存じの鉄火ベッラ嬢が書きこまれたのを記事にしました。
鉄火ベッラ嬢の書き込みを貼りつけます。


ベッラ・カンタービレさんのコメント...



真夜中ですが、父がウロウロするので起きていました。
菅は菅原道真の子孫ではありません。
なぜかといいますと・・・故永井智子先生(声楽家、作家永井路子さんの実母)のご主人が「菅原明朗」(楽器論の著者で
朝比奈隆、古関ユウジ、山田一雄らを教えた)、実家は明石、
菅原道真の正確な子孫です。

志賀直哉、谷崎潤一郎もその系図を見ています。戦争中はともに疎開、私は直接、80歳だった永井先生からそのお話を伺っています。
菅原明朗
[編集] 経歴
兵庫県明石市大蔵町生まれ。菅原道真の菅原氏の末流。プロテスタントの幼稚園に通ったことから、明石第二尋常小学校(現在の市立人丸小学校)通学中の1908年(11歳)、洗礼を受ける(後年、カトリックに改宗)。1910年(13歳)京都二中(現在の京都府立鳥羽高等学校)に入学。その時代、陸軍軍楽隊長小畠賢八郎にホルンとソルフェージュを習う。

1914年(17歳)上京し、1918年(21歳)まで川端画学校洋画科で藤島洋二に学ぶ。画学校時代の1915年(18歳)より作曲を発表。また、大田黒元雄・堀内敬三等の「新音楽グループ」に入り、雑誌「音楽と文学」同人となる。

1930年(33歳)、私立「帝国音楽学校」の作曲科主任教授となり、また、箕作秋吉、清瀬保二、橋本国彦、松平頼則ら16人と「新興作曲家連盟」を、さらに、1936年、門下の深井史郎らと「楽団創生」を結成する。

1938年、歌劇「葛飾情話」の上演後、そのときのアルト歌手、永井智子と結婚。

ドイツ系が主流だった当時の日本の洋楽界に、彼はフランス流の新風を吹き込んだが、1930年代中ごろからはイタリア音楽に接近し、チマローザやピツェッティに傾倒した。指揮活動は、自作の指揮ばかりでなく、たとえば1942年には、アルチュール・オネゲルのオラトリオ「ダヴィデ王」を松竹交響楽団により日本初演している。戦後はグレゴリオ聖歌に影響を受けた作品が多く、またキリスト教に関連する作品も多数残した。1967年最初のイタリア旅行以降、彼はたびたびイタリアに長期滞在し、ピツェッティと親交を深めた。長寿の最期まで現役で、1988年4月2日(91歳)、「ヨハネの黙示録」に基づいたカンタータの作曲中に、急死した。




「永井先生と私」
永井先生は菅原明朗を尊敬していましたが、菅原明朗先生も永井先生を尊敬し「あなた」と敬称でお呼びになっただけでなく、お皿洗いも「そんなひまがあったら一曲でも勉強しなさい」と言うほど。
でも若き日の永井先生は菅原先生を置いてイタリアへ勉強に。

美声と美貌のプリマ、と絶賛された永井先生は80歳を過ぎても美しく、栗色に染めた長髪を波打たせ、青いアイシャドウをきりりと引いて、刺繍入りのブラウスに明るい色のスカート、オペラにいらっしゃる時は、ロングドレスで、背筋をピシッとのばされ、優雅でした。
「綺麗でないとレッスンしないよ!」とお弟子に対して服装などうるさく、しつけもうるさく!「女は走ってはいけません!」(私はいつも走っていた)「ハンドバッグは足元に置きなさい」(椅子の上にのせたりしていた)、「外人に媚びるな」(私は媚びていないので誉められた)・・・などなど。

イタリア人神父に「歎異抄」を説教し困らせていらっしゃった。

菅原明朗先生は大変だった・・・と周りは同情・・・
(菅原先生のお弟子がそう言っていました。)



ベッラ・カンタービレさんのコメント...









追加です。

私は永井先生の弟子ではありません。食客というか客分です。

イタリアで、それまで自分が学んだ発声がドイツ系であったことがわかり(当時は、イタリアの発声を正しく教える先生はいなかった、すべてドイツ系だった!!)悩んでいたら、永井先生のお弟子さんが素晴らしいことを知ったのです。
先生も私に優しくアドバイス下さって、私と話がしたいな、と思っていた、というありがたいことをおっしゃってそれでおつきあいがはじまったのです。先生が亡くなる年まで・・・。



 


















道真には数人の子が居たのでその直系である。









そう云えば昨年にtvで面白おかしくそんな話をしていたような・・・。









否定しなさい管君!









国歌を歌わない 日本人が何処にいる!









歴史に残るよ君は!









こんな総理大臣が居たって!









もっとも日本人らしくない国旗日の丸も国歌も大嫌いだった人が総理になって日本がめちゃくちゃになった。









ホントに日本人か?ってね。









戦後の占領憲法の時代(現在のこと)はワヤくちゃやったと言う歴史。









天皇陛下と国旗と君が代をこよなく愛する人を総理大臣にしようではないか。









靖国に参拝する人を(追加)







何処かで読んだ記事・・・靖国に参拝する人は長期政権だって。
統計的にそうらしい。
しかし!これは本当なのだ!
靖国の英霊は肉体がないだけである。霊界で生きている!その英霊に額ずく総理大臣に霊界より力を貸し給ふ。
これはホントのこと!
だから国民ももっと靖国にお参りしよう。
益々護国の英霊の力は増す。
嘘のようなホントの話!

総理には平沼赳夫たちあがれ日本代表がイイに決まってる!
(安倍さんも参拝しておればよかったのに)

2011年1月19日水曜日

次はたちあがれ!

このスィートアリッサムは1年草と言われてますがあの酷暑の夏も乗り越え、
この厳しい寒さも今乗り越えそうな気配です。
小さな花です。長く伸びたので先日先をカットしました。
健気に咲き続けております。

私たちも健気に民主党の敗北を期待しながら健気に国を愛して国を思って、
次期選挙には民主党を惨敗に導きましょう。
皆に言いましょう。
民主や左翼や反日政党には入れないように。
できたら「たちあがれ日本」に入れましょう!
候補者のない処は自民。
とにかく保守が政権取らないとダメです。
みんなの党辺りが伸びそうですが、リベラルに少し毛が生えた程度です。
中途半端です。
マスコミはココにエールを送りそうですが・・・騙されてはいけません。
マスコミの言うことの反対を考えるといい方向に行く。
たちあがれを応援しよう!


ミツバのクローバー
(変わった色でしょ。最近はこう言う変わった色もばローバーがあるんです)


                          大きなパンジー

ココまで書いてなんと気の早い・・・選挙のことを書いてしまった。
早くミンスを葬りたい心がそうさせた。(笑


2011年1月18日火曜日

寒風に咲く薔薇

この時期には咲いたことがない薔薇(名前は忘れた)
春に内向き加減に咲くのこ薔薇が今年はこの寒空に蕾を付けてようやく咲いた。
正月に咲いたようである。
5日の日に見つけた時は嬉しかった。
何かいいことがあるのだろうかと・・・気分がイイ。

寒風の中でもこんなに綺麗に咲く薔薇。
政権とは真反対に蕾を開いた。
この寒さでは蕾を付けても咲かないのが普通。
吉兆の兆しが・・・ならば嬉しい。

ココまでは職場の花たち



朝日を浴びたこの花達はもくもくと咲く
もの言わぬ健気な姿に「ありがとう」を言いたい。