2012年8月30日木曜日

むさ苦しい厭な顔を見た後は薔薇でお口直し・・・いえお目治し








みなさん!マスゴミ報道はほとんど特亜工作員と思って・・・matigainai

まともな記者はhonnのひと握り
 
ホンマにホンマに一握り。
 
官房長官いぼがえるヒキガエルフジムラ
 
なりふり構わず地権者と都知事に
無礼千万なふるまいを。
 
なんとか・・・シナに尖閣とらせたい一心で云いよりますんヤ。
ええ加減なことを。
 
そこにシナのakaてro新聞が。書く。
信用しては成りません。
 
日本語しゃべるから大手の新聞やから…信用してはいけません。
 
日本語しゃべっても魂売ったBKDが仰山居てますんヤ。
特に報道・・・政界には勿論…商売人の中にも仰山居teますんや。
 
まともな日本人はほんのわずかなんや。
最近少しずつ増えてますけど。
 
日本売りたい工作員は
堂々と首相になってる…官房長官にもなってるんや。
 
是が非でも石原はんに尖閣kawaしとうないんや。
ましてや・・・新党なんて作らせとうないんや。
ソヤから工作員記者は色々書くん。や。
引っかかったらあきまへんで。
かき回してきっかきまわしよります。
動じん様にしておくれやす。
敵の思うつぼや!
 
新党の冷やし記事も工作やからね。
乗せられんように。
 
10月の尖閣石原はんの上陸楽しみどすね。
 
 
 


また…マタ・・・頭に乗って

竹島の領有権を巡る日韓の緊張が高まる中、26日、韓国の地方議会に対馬の領有権を主張する決議案が出され、注目を集めている。

韓国のソウル新聞によれば、意見を提出したのは、韓国側が領有権を主張している独島(竹島の韓国名)の所属行政区域である慶尚北道のジョン・チャンゴル道議員だ。同議員は、11名の同僚議員の同意を得て「日本の独島領有権侵奪野欲粉砕及び対馬島実地回復のための促求決議案」を議会に提出したと報じられている。

決議案の中でジョン議員は「地政学的に釜山から対馬までは49.5kmで、日本本土からの距離147.5kmより近い」「三国志魏史倭人伝、対州編年略、13世紀日本書籍の塵袋、中国の古地図などは対馬が完璧な我が領土であることを立証している」と強調した。

他にもジョン議員は対馬住民の血統調査結果、韓国血統と染色体が一致」「日本は1862年、欧米列強に対し対馬は朝鮮領だと主張した」「初代李承晩大統領と国会が対馬の返還を要求した」などの理由を根拠として挙げた。

どうしようもない民族だわ。
国交断絶しかないね。
 
特亜ってホンマに嫌われる民族やね。
 
世界から嫌われても仕方ない。
 
 
うち等隣国やから引っ越しも出来んし・・・ココいらで鎖国や。
特亜鎖国や・・・自覚できるまで鎖国や。
 
はよう日本企業帰っておいで。
金儲けの為に…目がくらんで
 
大陸進出のツケは大きい。
人質にされまっせ。
 
日本企業は
何かあっても覚悟が出来てんの?
 
恐ろしいシナとの商売にリスク。
人質にされてもええんやわね。
 
まだ学習してないように見受けられますが・・・。
 


2012年8月29日水曜日

戦後の日韓の歴史に児玉誉士夫と朴正煕…現在に繋がる日本の闇のルーツ

東アジア黙示録ブログより転載 
 


黒幕が仕切った“日韓外交”…外務省が挑む未体験ゾーン
<< 作成日時 : 2012/08/29 02:17

竹島侵略問題のICJ単独提訴は、外務官僚にとって土下座以外の初の選択肢だ。歪み切った半島南部との関係…かつて政商と利権政治家が取り仕切っていた時代、外務省が出る幕は寸分もなかった。
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「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない」

1982年4月、英領フォークランド諸島にアルゼンチン軍が上陸した際、サッチャー首相は、そう力強く言い放った。英国は直ちに航空母艦2隻を含む大部隊を派遣し、奪還作戦を開始する。

この時の台詞は、「鉄の女」と呼ばれたサッチャー首相を象徴する発言として我が国でも度々引用される。ただし、重要なのは次に続く言葉だった。

「なぜなら、国際法が力の行使に打ち勝たなければならないからだ」
▼サッチャー首相(テレグラフ)
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法秩序が武力によって打ち破られることが見逃せなかったと言うのである。この本旨が我が国ではあまり理解されていない。首相が領土侵略を受け、自軍の損傷を覚悟で交戦するのは、ごく常識的な対応だ。

英国本土からフォークランド諸島までは1万㌔以上。国際法と言っても大英帝国の“遺産”だったり、最前線に送られたのはネパールのグルカ兵だったり、威張れたものではないが、その辺はスルーしておく…
▼フォークランド諸島に上陸した英部隊
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「国際社会の法と正義に照らして、国際司法裁判所の法廷で議論を戦わせ、決着をつけるのが王道であるはずです」

8月24日の臨時会見で野田佳彦は退路を断ち切った。李明博の島根不法入国事件で、日本政府として、竹島略奪問題をICJ(=国際司法裁判所)に付託する方針を首相自ら内外に宣言したのだ。

法を盾にするのではなく、武器として用いる。なんとも勇ましいが生易しい問題ではない。国際法廷での敗北は絶対に許されないケースである。

【初の単独提訴…コピペは使えない】

「何が本当の国益なのか、冷静に考える必要がある」(8月21日付朝日社説)

「感情的対立が高じて隣国との関係が決定的に悪化することのないよう、冷静な対応も必要だ」(8月18日付毎日新聞)

竹島・尖閣の“同時発火”で反日メディアは、揃って「冷静な対応」を叫んでいる。連中が喚く「冷静な対応」とは「ひたすら沈静化を待つ」ことだ。言い換えれば「黙って見逃す」のである。
▼放火して興奮する半島人8月25日(ロイター)
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支那・朝鮮半島シンパの反日評論家・コメンテータも全く同じだ。こうした輩は「冷静な対応」の具体的な中身まで明かさない。売国連中は、この期に及んでも無責任極まりない。

現時点での「冷静な対応」の筆頭が、ICJへの提訴だ。2国間交渉によらず、客観的な判断を仰ぐ“大人の対応”である。ところが反日陣営はそれすら懐疑的で、提訴にもなんだか不満そうだ。

そんな中、激震がはしっているのが外務省だ。たぶん…驚天動地の非常事態だろう。外務官僚の腕の見せ所であるが、「対応」できるか否かギリギリの状態に違いない。
▼緊急会見する野田8月24日(AP通信)
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ICJへの共同提訴を南側は拒否した。そこまでは予想通りの展開だが、我が国はついに単独提訴に踏み切ることになった。日韓外交どころか、戦後外交史上の大事件だ。

我が国は昭和29年と37年に2回、ICJ共同付託を提案したが、南側が拒否。その段階で提訴を取りやめた。しかし、今回は初めて単独提訴に踏み切る方針だ。つまり、過去のコピペは使えない。
▼韓国征伐国民大行進8月25日(AFP)
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単独提訴にあたって外務官僚が文面を一から練り上げ、法的根拠を積み上げなければならないのだ。僅かな隙も揺らぎも許されない、大変な作業である。

提訴の実務を担当するのは、外務省・国際法局国際法課。外交官のエリートコースかどうか不明だが、それよりも、このような難問を課長クラスに丸投げすることは有り得ない。
▼島根県入りした半島人学生8月25日(ロイター)
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しかも、8月25日付の外務省人事で、この国際法課長が交代した。官邸が急遽エース級を投入した訳ではなく、定期の人事異動のようだ。特別チームを編成しなくて大丈夫なのか…

それでも内閣府や法務省に援軍を頼む必要はないだろう。外務省が総力を結集してICJ単独提訴の準備に当たれば良い。残念ながら対韓外交で、それ以外に外務省はやることがないのだ。

【日韓に外交ホットラインはない】

超党派の憂国議員グループ「創生」日本は、天皇陛下への大不敬暴言と竹島不法上陸に関して8月15日付で痛烈な抗議声明を発表した。その中に、韓国側の異常性を示す事実が綴られていた。

「外務省によれば、上陸情報を入手後、駐韓国日本大使が韓国政府に連絡できない情況だったという。緊急事態時に特命全権大使が相手側政府と連絡をとれないというのは、外交上許されない非礼な行為であると同時に、完全に日本を見下した行為である」
▼島根県入りする李明博8月10日(ロイター)
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李明博が不法に島根県入りした後、南側は公式な外交ルートを遮断したのだ。在留邦人を保護する緊急措置も発動できない危険な状態。一時的に南側が国交を断絶したに等しい。

8月10日当日も翌日も既存メディアは、竹島関連の大量の報道を垂れ流したが、外交断絶という異常事態を大きく取り上げることはなかった。外交の原則は、この時点で決定的に破られていたのだ。

例え交戦中の国家同士でも、外交ルートが一方的に閉ざされるケースは少ない。8月24日の参院予算委で、山本一太議員がこの問題を追及。それに対する玄葉外相の答弁は衝撃的だった。

「よく韓国の場合は、都合の悪いことがあるとなかなか先方が電話に出ないとか、連絡が付かないということは、この間の日韓関係の歴史の中で何度かあったと承知しています」



朝鮮人を小馬鹿にするかのような表情が印象的だ。それでも山本議員が憤慨する通り、笑い飛ばせる問題ではない。初めて公に語られた事実、貴重な証言である。

大東亜戦争後の2国間関係は、外交の定石も常識もなかった。外交の原則など端から存在していないのだ。過去の長きに渡り、外務官僚は蚊帳の外に置かれたままだったのである。

【闇の怪人が編み出した基本条約】

「角福戦争と言われた昭和四十七年の自民党総裁選挙にも、莫大な資金が韓国政府から流れ込んでいた。(略)対韓援助におけるピンハネにいたっては、その金額が金額だけに、とてつもない多額が日韓政治家にばらまかれていたのである」(畠山清行著『何も知らなかった日本人』祥伝社文庫31頁)

中野学校シリーズなどで知られる作家・畠山清行氏は、日韓戦後史の闇についても深く斬り込んでいる。そこで描写されているのは、学者や報道機関が全く触れることのない“異形の外交”だ。

日本側で中心的な役割を担っていたのが児玉誉士夫だった。影がちらつくとか見え隠れするといったレベルではなく、我が国の政財界を意のままに操っている。
▼対韓外交を仕切った児玉誉士夫
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韓国側のパートナーは、児玉誉士夫の盟友であった大統領の朴正煕。強力な暗黒タッグだ。そして、この2人が昭和40年締結の日韓基本条約を取り仕切る。

日韓基本条約をめぐる交渉が難航する中、南側の密使が訪ねたのも世田谷・等々力の児玉誉士夫邸だった。児玉は自宅に与党幹部を呼びつけて“調整”を続けたという。

不法に滞留する在日韓国人の処理や在日凶悪犯の野放しなど、現在に繋がる「日本の闇」が生まれた背景もここにある。我が国の裏社会と青瓦台がセットした“不平等条約”なのだ。
▼日韓基本条約の調印式
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そして、与党政治家や南の政権中枢・軍幹部は、我が国による約5億ドルの経済支援に群がる。当時の南朝鮮の国家予算が3億ドル余りだったことを考えれば、これは途轍もない額である。

対韓援助のキックバックは、裏から裏へ処理される魅力的なマネーだった。既に政商としてならしていた児玉は、朴正煕との密接な関係を利用し、日韓関係のキーパーソンに登り詰める。

残念ながら畠山清行氏は前掲書で、韓国ウラ利権に絡んだ具体的なケースは列挙していない。固有名詞が登場するのは、昭和43年の福島・白河高原開発をめぐる融資問題など僅かだ。

これは白河高原開発を進める在日暴力団組長の直営企業に対し、韓国外換銀行と日本不動産銀行(旧朝鮮銀行)が約100億円を融資した問題である。その後ろ盾になっていたのが児玉と朴正煕だった。
▼演説する朴正煕
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元諜報機関員らの証言を情報ソースにした畠山作品群は、やたら「SF条約第2条α」などといった用語が飛び交う学術論文とは対照的だ。しかし、畠山氏の活写する歪んだ日韓関係こそが恐らく実像に近い。

南の大統領と直結したフィクサーや利権塗れの与党大物に、在日ヤクザの実動部隊まで絡んだ無法地帯。アカデミズムの手に負えない領域で日韓の邪道の歴史は進む。

公式文書に残らない裏舞台の逸話ばかりだが、そこで断言できることがある。日韓基本条約の締結にあたって、外務省の官僚チームが出る幕は全くなかったのだ。

【取り戻した“外交権”で土下座連発】

政商が支配した対韓外交は、昭和51年の児玉誉士夫の起訴であっさり終わりを告げた。脱税での摘発は、ロッキード事によってパワーを失った結果の出来事だった。
▼ロッキード裁判で出廷する児玉
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そして、一方の朴正煕も3年後の1979年に暗殺される。この魑魅魍魎が跋扈する状態から、官僚が“日韓外交”を引き継いだのである。外務省に半島専門職員がいたとしても経験値はゼロだ。

対韓外交が外務官僚に委ねられたのは、全斗煥政権発足後の昭和56年。大東亜戦争後初めて公の舞台で、我が国の官僚組織がド腐れ盲腸の下半分と向き合うことになった。

手探りの外交だ。そこで日本側は、いきなり取り返しのつかないミスを犯す。教科書誤報騒動に慌て、近隣条項を打ち出した昭和57年の宮沢談話の発表だ。外務省は謝罪外交を選択したのである。
▼宮澤喜一と江沢民(新華社)
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半島人の性質を少しでも知っていれば、謝罪が逆効果になることぐらい解ったはずだ。少しでも下手に出れば、付けあがって威張り散らす精神異常者集団。国際常識が通用する連中ではなかった…

その後も我が国の政府は、加藤紘一談話・河野妄言談話・村山売国談話、最近では菅談話と、無意味な謝罪外交を繰り返すことになる。児玉時代から30余年、外務官僚はまっとうな関係を築けなかった。

「森元首相までが一線から退くことになれば、両国の懸案を水面下で調整してきた大物政治家が事実上消える」

韓国紙は、森喜朗元首相の政界引退宣言を受けて、そう伝えた。長く日韓議員連盟の会長を務めた森元首相は、我が国と半島南部のパイプ役だったと言われた人物だ。
▼李相得容疑者と小沢被告H21年9月(聯合)
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一方、南側では、李明博の実兄で在日参政権の主導者だった李相得(イ・サンドュク)が巨額不正資金事件で逮捕・起訴された。これによって日韓の地下水脈が断たれたと言うのである。

「騒ぎが起きると水面下で働いてくれた」

外務省幹部は、日韓の超党派議連をそう評価するが、“騒ぎ”を沈静化させる策は、我が国による「その場しのぎの謝罪」しかない。両国の危機を調整できる政治家は現れなかったのだ。
▼韓国征伐国民大行進8月25日(AFP)
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もちろん外務官僚や民主党政権に、危機を回避する高度な能力などない。対話など不可能だ。改めて我が国の国民も政府も、これまで日韓の間にまともな外交関係がなかったことを直視しなければならない。

歴史的にも重大なターニングポイントだ。日本側が定番の土下座外交を踏襲しなければ、両国政府は共に、未体験のゾーンを突き進むことになる。

2012年8月28日火曜日

薔薇とジュランタ





2012年8月27日月曜日

先頭に立って・・・(追記はコメント欄にて)

国を売ります。
 
はい、私・・・の豚ドジョウと言われています。
私の国はシナチクです、
 
国を守ると言うことは国を売ると言うことなんです。
 
 
都に上陸を不許可
 
 
当たり前なんです。上陸させません。
 
私は国を売るのが仕事ですから・・・上陸はさせられないんです。
 
皆さん!騙されてはいけまへんでぇ!!!
 
国に売りが商売のノブタドジョウや
フジムライボムラ引きがえる
 
こいつ等(きゃ~ゆうてもうた・・・お品のええうちは…アタクシはゆうたぞ)
 
こいつ等は国売り商売と言う国賊ですネン。
 
周りの人に言うてやりまひょな。
 
シナ・朝鮮に蹂りんされるで。
 
選挙で落とそう。
 
票入れたら
アカンで。
 
愛国のシッカリした議員を選ぼうね。
 
左翼系反日系は無視や。
虫や。

薔薇…夏薔薇








2012年8月25日土曜日

女3人の会話・・・竹島問題…馬鹿ん大統領

60代2人40代1人
女性…美女・・・びじょ(ふふ~ん)
 
バ韓国大統領の天皇陛下に謝れだと…(ぬかしおった)
吃驚しました・・・なんと言うことを!!!
 
 
ホンマに(@_@;)やわね。
何さまや思うてんのやろ・・・アホちゃう!!!
 
 
ホンマやアホや!!!
嫌われる民族や・・・いややわね。
 
馬鹿ん大統領の弟逮捕されたんちゃう?
そやから必死や!!!
自分もそうなるかもしれんから必死!!!
馬鹿丸出し。
 
日本には豚丸焼きがおる。
親書をあっちに往ったりこっちに来たり。
ワロたワロた・・・幼稚園児じゃあるまいし。
 
丸焼きが甘やかしすぎたんや。
ツケあがって舞い上がって
わけ分からん
精神錯乱や。
 
ち~ん
もうすぐ御臨終。
 
お気の毒。
日本国民はまた愛国に目覚めて
ますます朝鮮人が嫌いになった。
 
お気の毒
本性見たうち等は甘やかすのもほどほどと言う勉強したんや。
人権人権と言い過ぎて優しいことがイイことだと洗脳されたんや。
しかしホントの優しさは時に厳しくすることなんや・・・と
是は是非は非をハッキリせなあかんと反省や。
特に特亜には厳しくせなのぼせ上ることを学んだんや。
 
厳しゅうしましょうね!!!
それが真の友好や。

2012年8月24日金曜日

丸焼きノブタは平気で絵空事を

丸焼きノブタドジョウは
国土防衛なんて考えてもないことを平気で言う。
 
流石BKD…工作員・・・ホンマ・・・
 
息を吐くように嘘を言う。
特亜丸出し
丸焼きノブタ…ベロ…ちょん切るぞ!!!
 
強制送還させずに刑事罰の処したらええやんか!
官憲の処置の甘さにNOと言え!!!
(国会答弁は担当部署の報告を聞いたなど)
 
人権擁護法案・・・闇法案・・・BKD法案
通すソウや・・・。
 
みなさ~~~ん
なんとかこいつに御縄をかけて
椅子から引きずり落としたいですね!!!
 
丸焼きノブタ柳川なべ
タライに入れてドンブラコどんぶらこ
半島巡ってシナチクに送ろう。
 
国会中継少し見たが
声もキモク姿もキモイ・・・日本人やない。
魂が日本人ではない!!!
ゲボッ
 
 

久々の音楽で

causal さんのコメント...
こんばんはですw。久しぶりに音楽を。 竹内まりあの名曲にシングル・アゲイン-1987-がありますw。 火曜サスペンス劇場のテーマでもありました。 曲名のシングル・アゲインは、よく知りませんが「女性が男性に浮気された時の心情を詞にした曲」らしいですね。 そうだ、もう日本に寄生して生きるのは止めよ、一人で生きて行けばいいのだ!! 出来ないだろうが、その時は中国に頼れ。昔の様にね。 海外アーティストが英語でカバーしている日本の名曲その① ※Phoebe Snow(フィービ・スノウ) / 『Single Again』

2012年8月23日木曜日

バ韓国のイミョナンチャラカンチャラ大統領…ホンマにお馬鹿ん

 
野豚とレベルが同じ
イミョナンチャラカンチャラ大塔統領。
 
能なしやわ。
誰かさんによう似てる。
 
誰かさんが送った親書を返して気よった。
 
二人とも憐れ…乞食みたいな
おっさんやわ。
 
能なし程度はちょぼちょぼやわ。
仲良し子良しのええコンビやったのに・・・お気の毒やわ。
 
竹島尖閣がミンスを撃沈。
地元に帰っても総すかんやて。
 
そりゃ当り前やろ。
 
この3年何した?
 
何もせんと寝といた方がましやったんや。
 
 
それでドジョウ
 
いつ解散なん???
 
はよう決めてんか!!!

親書を返してきたばなん国…受け取り拒否

野豚ドジョウ
 
判らんのかな…バ韓国め!
 
あれだけ尽くしたのに・・・阿保め!!!
 
判らんか!!!・・・今俺はこのことでますます窮地に
 
何でやネン!!!…ど阿保!!!
 
チィ~と甘やかし過ぎたかな?
 
付き合いきれん相手やな。
 
沈没しそうな時に
 
余計なことしてくれて
 
ホンマかなわんな…自己中な国や
 
スワップも忘れたんやろか・・・あんだけ便宜図ったのに・・・。
 
売国奴言われても・・・頑張ったんは一体何やんやったんやろか・・・。
 
っがっく・・・・・

caunにいはんより

うちら3人組。
者なんぼ^いのcauniおにいはんのコメントを
 
 
causalさんは書きました...
今朝、博士のひとりごと-2を拝見した処
野田首相の「枯れすすき」とのタイトルで
「さみしさに負けた、いいえ特亜に負けた」のサブタイトル発見。
http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-1084.html

あれっ? これはお兄さんブログのスタイルの一つなんじゃ内科医?
「鼻から牛乳」シリーズでんがな。
出来たら動画も掲示してほしかったっすw。
■さくらと一郎 「昭和枯れすゝき」
http://www.youtube.com/watch?v=y0r3Chud5Fc


お兄さんブログの影響を、もろに受けてるような気がしてうれしかったですw。
2012年8月23日 10:08


 
 

どうしようもないバ韓国・・・お気の毒

アネモネ様の記事。
更新がなくさびしかったのですが
最近連日の更新。
嬉しい。
キリッとした筆致
大好きである。



東アジア黙示録ブログを引用

2012年の征韓論…大不敬暴言生む野蛮民族集団
<< 作成日時 : 2012/08/22 22:40
言語道断の大不敬暴言!李明博は実際にどれほど黒い罵倒語を吐いたのか…日韓のメディアは一部しか伝えていない。外交の原則も儀礼も知らない蛮族集団。日本国民が新たな征韓論を唱える時が来た。
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「1873年(明治6)、西郷隆盛・板垣退助らが朝鮮の排日的鎖国主義を名目として、これを討つことを主張した論。同年欧米視察から戻った岩倉具視・木戸孝允・大久保利通らは内治優先を唱えてこれを退けた。以後征韓派は下野し、士族反乱や自由民権運動を展開する」(出典:大辞林)

歴史の授業で征韓論は、産声をあげて間もない明治政府内で発生した対立として教えられる。確かに、維新の立役者・西郷南州翁の最期に連なる歴史的な大論争であった。

一部の歴史教科書では「不平士族の目を外にそらそうとした」などと、核心から“目をそらせせる”記述もある。だが重要なのは、激烈な論争の出発点が、対朝鮮外交にあったことだ。

明治政府は発足と同時に、英米など西欧列強を相手に2国間外交を始めた。近代国家への移行とは、即ち当時の国際秩序の組み込まれることである。近代国際法に則った外交が基本となる。

その中で全く異質の対応をしたのが、朝鮮だった。すばやく近代国家に脱皮した我が国と違って李氏朝鮮は中世と同じ世界観を保っていた。激動するアジア情勢とは無縁の無知な田舎者だ。

我が国は明治元年から朝鮮に国交を求め続けた。当初、仲介したのは対馬藩関係者だが、既に外交権はなく、中央政府に移っていた。こうした外交権の一本化についても朝鮮側は理解できない。

朝鮮側は、我が国が送った国書に「皇上」「奉勅」といった単語があるとして受け取りを拒んだ。半島に赴いた全権特使を問答無用で送り返す始末。「皇」の文字を嫌う態度は、約150年後の今も変わらない。

我が国は朝鮮が清の属国であるにも係わらず、早く国交を樹立しようと焦っていた。それは強大なロシアの南下が始まっていた為だ。末期症状の李氏朝鮮が跡形もなく呑み込まれるのは時間の問題だった。

無知な田舎者の李氏朝鮮は、列強の脅威にも気付かず、属国として外交を清に丸投げしていた。その清が1842年に英国と南京条約を結び、近代国際法を渋々受け入れていたことも理解できない。

仕方がない面もある。朝鮮は有史以来の伝統的属国で自主外交をした経験がなかったのだ。そして今も、外交の基本すら解っていない。韓国は「無知蒙昧な民族集団の片割れ」でしかないのだ。

【報道の和訳に疑問が浮上】

8月14日に飛び出した李明博の発言は、百万言の罵倒・中傷の言葉でも足らない。大不敬という表現ですら甘いだろう。一国の元首の発言として、類例のないギガ級の暴言である。

そのワンフレーズに対抗して武力衝突、2国間戦争が起きてもなんら不思議ではない。我が国に対する宣戦布告に等しく、歴史的にも常識的にも、ごく自然な対応だ。

「(天皇陛下は)韓国訪問を望んでいるが、(私は)独立運動で亡くなった人たちに心から謝罪するならば、訪問を(受け入れる)と伝えた」「痛惜の念という言葉だけをもって来る必要はない」(8月14日付東京新聞)

およそ全ての我が国の報道機関が速報した。公の場所で李明博が放言したのだ。ウラを取る必要もない。ところが報道各社で微妙に翻訳が異なっている。

「(天皇陛下が)韓国を訪問したければ、独立運動で亡くなった方たちを訪ね心から謝罪してほしい。痛惜の念とか、そんな単語一つで訪ねて来るなら来る必要はない」(8月15日付産経新聞)
▼大不敬暴言吐く李明博8月14日(JNN)
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南訛りの朝鮮語からの和訳だ。翻訳者が適当に語尾を変えるなど多少の違いが生じるのは、やむを得ないだろう。朝鮮語から英語を介して和訳したケースも概ね同じだ。

「韓国を訪問したいなら、解放のために戦って亡くなった方々に敬意を表し、謝罪するのがいい」(8月15日付WSJ)

改めて読み返すだけで、頭が沸騰しそうだ…更に、前段で李明博は「日王」と発言している。この特殊ワードもメディアはピックアップするべきである。そこに朝鮮の異常性がクッキリ刻まれているのだ。

これだけも大不敬で、当人は元より末代までの極刑に値するが、報道各社の和訳にも異議が唱えられている。前後にも聞き捨てならない雑言が並んでいたという。

【音声の一部が消えた暴言映像】

李明博の大不敬発言が我が国で波紋を広げ始めた矢先、青瓦台の記者専用サイトは発言内容を一部訂正した。本来はケアレス・ミスで済まない問題だが、記者が書き起す際に間違えたと説明している。

「(李大統領は)『(天皇が)韓国を訪問したがっているが、独立運動で亡くなった方々を訪ねて心から謝るならば来なさい』と言った」
↓訂正後
「(天皇も)韓国を訪問したいのであれば独立運動で亡くなった方々を訪ねて心から謝罪すればよいということだ」

ミステリアスな現象である。オフレコの囲み取材ではない。教員を養成する大学のワークショップの席上で、撮影カメラが回る中、李明博は大不敬暴言を吐いたのだ。
▼島根県内に不法入国8月10日(ロイター)
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この訂正を機に「本当は何と言ったのか?」という疑問が持ち上がる。一部の地元紙によると実際は「ひざまずいて謝らねばならない」と発言し、発言録がその部分を削除した報じている。

李明博の発言は映像に収められ、現場には多く聴衆がいた。曖昧な部分はなく、記録から削除しても無駄だ。更に、より酷い表現を用いたとの指摘も出ている。



もう卒倒しそう…こうした指摘が相次ぐのは、我が国の報道機関が発言の証拠映像を紹介していない為だ。前提となる検証作業を怠り、放映した映像も一部がオフ(音声消し)になっている。

詳細不明では報道機関としてお役御免だ。しかも、これまでニュースで放映された「切り取り部分」だけでも疑いが浮上する。それは大不敬発言のコアとも言えるシーンだ。



問題のワンセンテンスはノーカット約14秒である。和訳した文章を、ゆっくり声を出して読んでみると8秒弱だった。李明博は後半で少し噛んでいるが、それを差し引いても4秒以上がブラックホールに直行している。

言語系統の似た日本語と朝鮮語の発声で、倍近い差が出ることはない。報道各社は、この映像を正確にチェックし、元素材を入手しようと努力しているのか。

青瓦台は、実際に発言した映像が公開されているにも関わらず、事後に微調整した。どうも隠蔽の匂いがする…完全な対訳を作成するのは簡単な作業だ。既存メディアが意図的に怠っているように見える。

実際の全発言は、やはり報道されている以上に悪質なものだったのではないか…日韓メディア合作の証拠隠しに日本国内から疑いの目が向けられるのも当然の成り行きだ。

【テロ実行犯に謝罪求める暴挙】

昭和17年4月、上海・虹口公園で開かれた天長節祝賀式典に不逞朝鮮人が乱入、爆弾テロを引き起こした。我が陸軍の白川義則大将閣下ら2人が爆殺され、重光葵外相が右足切断の重傷を負った。

実行犯は、尹奉吉(ユン・ポンギル)。民譚によって金沢市内に慰霊碑が設置されているが、我が国の軍幹部と政府高官ら6人を殺傷した非道鬼畜のテロリストだ。
▼民譚が設置した金沢市内の碑(wiki)
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また同じ年の1月には、 尹奉吉と同じ犯罪組織に属する李奉昌(イ・ボンチャン)が、先帝陛下の御料者を狙って手榴弾2個を投げるテロ事件が発声した。もちろん大逆罪で死刑である。

こうしたテロリストを韓国政府や民譚、在日韓国人らは「独立活動家」と呼ぶ。その中には、伊藤博文首相を暗殺した安重根など多くの不逞鮮人が含まれる。

この凶悪テロ実行犯らに対して、李明博は今上陛下に向かって「深く謝罪せよ」と言い放ったのだ。

日本政府にとっても、自国の首相暗殺犯に対して国家元首の謝罪を求めるという外交上、異常すぎる暴言である。しかも李明博は、それが天皇陛下ご訪韓の“条件”だと断言する。
▼大不敬暴言吐く李明博8月14日(ANN)
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このセンテンスは、正に宣戦布告にも該当し、2国間の外交関係は瞬時に破綻する。非公式のスピーチだったとついう言い訳も通用しない。他ならない大統領の発言である。

「痛惜の念とか、そんな単語一つで訪ねて来るなら来る必要はない」

そして李明博は、あろうことか今上陛下の詔勅を「鮮人テロリスト」への“謝罪”と結びつけて更に罵倒した。そこが「韓国に外交能力なし」と断言できる部分だ。

【盧泰愚の返礼は戯れ言か】

朝鮮南部の民族集団に対する天皇陛下の詔勅が平成2年5月に発された。国内でも様々な反応が見られたものであるが、その詔勅に対する韓国側の公式な答えは、こうだった。

「わが国と国民に対して友誼に満ちたお言葉を賜りましたことに謝意を表するものであります」

宮中晩餐会における盧泰愚大統領の返礼である。それを李明博は、完全に覆し、呪いの言葉を投げ掛けたのだ。外務省は慌てただろう。暴言・失言のクラスを越えた外交上の大問題である。
▼退任後逮捕された盧泰愚元大統領(東亜日報)
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盧泰愚の丁寧な返礼も李明博の大不敬暴言も、大統領自身の言葉だが、問われるのは韓国の「外交の一貫性」だ。外交の最高責任者・意思決定者であっても、簡単にひっくり返すことは許されない。

この一貫性・継続性こそ、外交の基本である。外交通商相が更に理不尽な暴言を吐いたように、李明博はもちろん韓国政府もその点を理解していない。国際的な信用を自ら失墜させる愚行だ。

そして、外交上の原理原則に加え、朝鮮の下半分は、初歩的な外交儀礼も解っていなかった。反日メディアは歴史認識問題を複雑に絡ませるだろうが、構図は非常にシンプルである。

これは独立国家の元首が、非交戦国の元首の発言を中傷し、無実の罪を着せて謝罪を要求。なおかつ、それが今後の元首外交の条件になると一方的に宣言したのだ。
▼武藤大使の帰国は盆休みだった(AP)
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「外交儀礼に欠く」といったレベルではない。国際社会が「開戦前夜の最後の挑発」と捉えても不思議ではない事態である。国際秩序の中の外交について、朝鮮人は150年前から何も学んでいない。

【新たな征韓論を国民が唱える時】

「受け入れがたい内容が含まれている」

韓国政府は8月22日、野田佳彦が送った親書の受け取りを拒絶する方針を決めた。征韓論を生み出した「国書の拒否」と同じ言い訳に失笑する。
▼日支南3ヵ国首脳会議5月(ロイター)
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果たして我が国は改めて朝鮮人に外交の基礎を教えてやるべきなのだろうか?その答えたは簡潔だ。無理である。かつての李氏朝鮮は明治政府の要請を理解できなかった。

我が国が近代国際法の下に朝鮮の民族集団と国交を結んだのは、明治9年。日朝修好条規の調印である。反日学者は、江華島事件をキッカケにした砲艦外交と断定するが、歴史歪曲も甚だしい。

李氏朝鮮で開国論が浮上したのは、明治7年の台湾征討である。邦人遭難者の虐殺に対する正当な軍事行動。朝鮮側は、我が軍の兵力を知って震え上がった。

同時に、宗主国の清が「台湾を管轄外」として完全な他国扱いする様も目の当たりにした。頼りにする宗主国様は、急速に衰えていたのだ。そして、清側も朝鮮に日本との国交樹立を呼び掛けるに至る。

明治政府の手続きを重んじた近代外交は結局、李氏朝鮮には通じなかった。穏便に出れば、居丈高に…恫喝すれば簡単に屈服。それが朝鮮民族集団との向き合い方なのだ。
▼在京大使館近くでの抗議活動8月16日(AFP)
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李明博の狂乱で、我が国が「冷静な対応」を取る必要はない。徹底して高圧的な態度で臨まなければ、連中は増長するばかり。有効なのは、全国民による「朝鮮討つべし」のスローガンである。

朝鮮半島は、今も昔も変わらないユーラシア大陸のド腐れ盲腸。あの民族集団を一国家と見なし、紳士的に接した明治政府の初期の誤りから学ばなければならない。征韓論は正しかったのだ。
▼李明博の暴挙に抗議する国民(ロイター)
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未だ朝鮮は上下ともに前近代の無知蒙昧“国家”である。21世紀には21世紀の征韓論が必要だ。

2012年8月22日水曜日

BKDメディア

東アジア黙示録ブログより転載

尖閣訪問“十烈士”の決意…同行拒んだ反日メディア
<< 作成日時 : 2012/08/21 02:18
電撃的に魚釣島を訪問した10人の日本人有志。同行して迫力ある映像を捉えたのは外国の通信社だった。一方で、反日メディアは意図的に尖閣から距離を置いた。
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「自分の信念に従って上陸しました。日本政府は、尖閣が自国の領土であることを行動として取ってこなかった。それを志ある日本人がやることは当たり前の話です」

魚釣島を訪問した後、8月19日午後4時過ぎに石垣島に戻った荒川区の小坂英二区議は、メディアの質問に対して堂々と受け答えた。反中共系デモで馴染み深い小坂区議がNHKに登場するのは痛快だ。
▼取材に応じる小坂区議8月19日(NHK)
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大東亜戦争末期に起きた疎開船「千早丸」襲撃・遭難の悲劇。洋上慰霊祭は8月19日早朝から行われた。乗船した普天満宮の権禰宜が執り行う厳粛なものである。
▼魚釣島沿岸に到着した慰霊船団(AFP)
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その後、相次いで10人が海に飛び込み、魚釣島の土を踏んだのは、午前7時40分過ぎだった。小坂区議は作業着にライフジャケットをまとい、岩場まで泳いだ。突発的な訪問について、小坂区議はこう語る。

「過去の慰霊祭では約束通り上陸はしなかったが、もう限界、堪忍袋の緒が切れた」
▼同じ船にはイリハム氏の姿も8月18日(AFP)
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限界とは、シナ人不法上陸をめぐる政府の対応に関してだった。不逞シナ人へのカウンター・アクションであるよりも、屈中姿勢の政府へのデモンストレーションの意味合いが濃かったようだ。
▼石碑前で合掌する訪問メンバー(ロイター)
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小坂区議は手持ちの日の丸を岩場に掲げるなど2時間ほど滞在。他の上陸メンバーと共に読経をあげたという。島で慰霊を行いたいとの思いは果たされた。

【尖閣史に刻まれた集団訪問】

この日、魚釣島を訪ねたのは小坂区議のほか、茨城・取手市の小嶋吉浩市議や鈴木章浩都議ら5人と地方議員と水島総幹事長ら「頑張れ日本」のメンバー5人。この中で先陣を切ったのが水島幹事長だった。

「これから上陸します。魚釣島の船着き場付近に突っ込みます」
▼海中に入る水島幹事長(AFP)
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そう宣言すると水島幹事長は「第一桜丸」から海に飛び込んだ。魚釣島の岩場まで距離は10㍍以上。命綱は付けているが、ライフジャケットはない。波は荒く、岩礁で激しく砕けている。
▼ロープを用い相次ぎ上陸(ロイター)
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「頑張れ日本」は侵犯船事件以降、「第一桜丸」を中心に尖閣周辺での集団漁業活動を行っているが、メンバーが島を訪問するのは初めてだ。水島幹事長は19日夜の会見を含め、中心的な役割を担っていた。
▼会見する訪問メンバー8月19日(共同)
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「あえて上陸することで日本人の志を示したと思っています。日本は尖閣を中国の手に渡してはならないという心意気を、全国に発信できたら成功と言える」

小嶋吉浩市議は会見でそう語った。この席で水島幹事長が、どのような発言をしたのか既存メディアは伝えていないが、主張に食い違いはないだろう。尖閣を守るという意志で貫かれた行動だ。
▼会見する小嶋市議8月19日(ANN)
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会見では尖閣対応をめぐる政府批判など憂国発言が噴出した模様だが、詳細な内容を伝えた報道機関はなかった。帰国した不法侵入シナ人の暴言を垂れ流す編集方針とは実に対照的である。

第一報の時点からメディアは意図的に、訪問した10烈士が軽犯罪法違反容疑に問われる可能性をクローズアップしていた。沖縄県警は20日夕方になって「立件見送り」を明らかにしたが、当然の処置だ。
▼八重山署前の共同取材8月20日(ロイター)
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過去16回、尖閣を訪問した石垣市の仲間均市議は13回も書類送検されている。船舶安全法違反といった別件で罪に問われたのだが、それが異常だった。

2年前の侵犯船事件以降、仲間市議が冤罪でペナルティを受けることはなくなった。不逞シナ人を無罪放免にする一方、自国民を断罪すれば、世論は沸騰する。尖閣を取り巻く状況は変わっているのだ。
▼灯台附近の丘を登る訪問者(ロイター)
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そうした変化に気付きながら抗っているのが、反日メディアである。今回の10烈士の行動は、改めてメディアの異常性を浮き彫りにした。

【同行取材で最接近は外国通信社】

シナ人の不法上陸劇では、香港・フェニックスTVのクルーが乗船した。通常の同行取材とは異なり、ご丁寧に公務執行妨害の証拠映像まで公開するファナティックな中継リポートだった。

それに対し、今回の大規模な洋上慰霊祭に日本のメディアが同行するのか否か、注目された。現段階では判別不能の部分もあるが、ほぼ予想通りとも意外な結果とも言える。
▼岩場で日の丸振る訪問者8月19日(NHK)
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総勢20隻を超す慰霊船団に同行し、映像を公開したのは、共同通信とNHK、日経新聞だった。これが意外な点だ。熱意とは無関係で資料として残す必要性に迫られただけの可能性も捨て切れない。

同行取材で最も迫力ある映像を捉えたのは、フランスのAFP通信。アントニー・バウザー記者は、水島幹事長の乗る漁船に乗船、海に飛び込む瞬間もキャッチした他、事前インタビューも記事化している。


参考:AFP8月19日『尖閣・魚釣島に日本人10人ほどが上陸』

民放各局は壊滅的だ。船舶からの映像を使っているのはANNだけで、他の系列は空撮のみ。沖縄に系列局を持たないNNNなどは、AFPの映像をクレジット付きで使用する始末だった。

民放は各局とも沖縄系列局の取材力が強くないが、同じ日に起きたシナ国内の官製デモには、内陸部の奥地まで記者を派遣しているケースもあった。バランスを欠いた取材姿勢が透けて見える。
▼成都でリポートするTBS記者8月19日(JNN)
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更に新聞報道を調べると、スタンスの問題では済まない疑惑が浮上する。慰霊船団同行がハッキリしているのは産経新聞と日経新聞。20付け産経新聞の1面トップ写真には撮影者の名前も刻まれていた。

予想通りだったのは、朝日新聞と毎日新聞だ。

【正念場迎えた反日メディア】

「公務執行妨害にあたるような抵抗はなく、妥当な措置だ」

朝日新聞は17日付の社説で不法シナ人の強制送還を評価。実行犯側の自供や海保側の証言があるにも係わらず、巡視船へのコンクリ片投擲を公務執行妨害に該当せずと断言した。



その一方で、日本人有志による慰霊訪問については “市民”の声を取り上げて「地元に困惑が広がった」などと間接的に批判。取材は、社機からの空撮のみで、海面から水平方向に撮影した画像はない。
▼社機による空撮19日午後(朝日)
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一方の毎日新聞も、同行取材は行わず、ロイターの画像を堂々と転載。そして何故かJNNと同じく、官製デモの取材に成都に取材班を派遣…奇妙すぎる偶然の一致だ。
▼独自取材した成都の官製デモ8月19日(毎日)
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朝日と毎日の報道姿勢はまるで示し合わせたかのようである。シナ人が不法侵入した8月15日から、尖閣諸島はホットスポットと化した。慰霊船団の尖閣訪問は取材対象としてバリューが高い。

とりわけ、お盆の1週間は、省庁の休みで「発表もの」がなくなり、ニュース項目を埋めるのも四苦八苦の状態。報道機関では“夏枯れ”と呼ばれる時期に当たる。
▼毎日新聞の掲載写真(ロイター)
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その中、敢えて朝日と毎日は取材班を整えなかった。尖閣をめぐる日本人の積極的な活動を矮小化させただけではない。重要なのは「同行しなかった」という事実を中共に向けて発信したことなのだ。

中共シンパに定期的に求められる「表態=態度表明」である。これは中共が指示するのではなく、シンパが媚び諂うものだ。かつて仙谷由人が、うっかり口走った「柳腰」に相通じる。
▼魚釣島に泳いで渡った烈士8月19日(ロイター)
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こうした中共シンパは、日支間で懸案が持ち上がると「大局を見据えた冷静な対応」を日本側にだけ要求する。「大局」の正体はいつまでも不明で、実際は「リアクションするな」と言っているに等しい。

その末に危機的状況が立ち現れたことを直視しなければならない。果たして反日メディアは、今後も安全保障問題で中共独裁政権を支持する姿勢を貫き通すのか…いきなり正念場がやってきた。
▼戦没者を追悼する訪問メンバー(ロイター)
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竹島・尖閣の“同時発火”。歴史認識が巧妙に味付けされた国防問題で、これ以上一線を譲り続けるのは難しい。今、波状攻撃を受けているのは、反日メディアだ。