2012年8月23日木曜日

どうしようもないバ韓国・・・お気の毒

アネモネ様の記事。
更新がなくさびしかったのですが
最近連日の更新。
嬉しい。
キリッとした筆致
大好きである。



東アジア黙示録ブログを引用

2012年の征韓論…大不敬暴言生む野蛮民族集団
<< 作成日時 : 2012/08/22 22:40
言語道断の大不敬暴言!李明博は実際にどれほど黒い罵倒語を吐いたのか…日韓のメディアは一部しか伝えていない。外交の原則も儀礼も知らない蛮族集団。日本国民が新たな征韓論を唱える時が来た。
画像

「1873年(明治6)、西郷隆盛・板垣退助らが朝鮮の排日的鎖国主義を名目として、これを討つことを主張した論。同年欧米視察から戻った岩倉具視・木戸孝允・大久保利通らは内治優先を唱えてこれを退けた。以後征韓派は下野し、士族反乱や自由民権運動を展開する」(出典:大辞林)

歴史の授業で征韓論は、産声をあげて間もない明治政府内で発生した対立として教えられる。確かに、維新の立役者・西郷南州翁の最期に連なる歴史的な大論争であった。

一部の歴史教科書では「不平士族の目を外にそらそうとした」などと、核心から“目をそらせせる”記述もある。だが重要なのは、激烈な論争の出発点が、対朝鮮外交にあったことだ。

明治政府は発足と同時に、英米など西欧列強を相手に2国間外交を始めた。近代国家への移行とは、即ち当時の国際秩序の組み込まれることである。近代国際法に則った外交が基本となる。

その中で全く異質の対応をしたのが、朝鮮だった。すばやく近代国家に脱皮した我が国と違って李氏朝鮮は中世と同じ世界観を保っていた。激動するアジア情勢とは無縁の無知な田舎者だ。

我が国は明治元年から朝鮮に国交を求め続けた。当初、仲介したのは対馬藩関係者だが、既に外交権はなく、中央政府に移っていた。こうした外交権の一本化についても朝鮮側は理解できない。

朝鮮側は、我が国が送った国書に「皇上」「奉勅」といった単語があるとして受け取りを拒んだ。半島に赴いた全権特使を問答無用で送り返す始末。「皇」の文字を嫌う態度は、約150年後の今も変わらない。

我が国は朝鮮が清の属国であるにも係わらず、早く国交を樹立しようと焦っていた。それは強大なロシアの南下が始まっていた為だ。末期症状の李氏朝鮮が跡形もなく呑み込まれるのは時間の問題だった。

無知な田舎者の李氏朝鮮は、列強の脅威にも気付かず、属国として外交を清に丸投げしていた。その清が1842年に英国と南京条約を結び、近代国際法を渋々受け入れていたことも理解できない。

仕方がない面もある。朝鮮は有史以来の伝統的属国で自主外交をした経験がなかったのだ。そして今も、外交の基本すら解っていない。韓国は「無知蒙昧な民族集団の片割れ」でしかないのだ。

【報道の和訳に疑問が浮上】

8月14日に飛び出した李明博の発言は、百万言の罵倒・中傷の言葉でも足らない。大不敬という表現ですら甘いだろう。一国の元首の発言として、類例のないギガ級の暴言である。

そのワンフレーズに対抗して武力衝突、2国間戦争が起きてもなんら不思議ではない。我が国に対する宣戦布告に等しく、歴史的にも常識的にも、ごく自然な対応だ。

「(天皇陛下は)韓国訪問を望んでいるが、(私は)独立運動で亡くなった人たちに心から謝罪するならば、訪問を(受け入れる)と伝えた」「痛惜の念という言葉だけをもって来る必要はない」(8月14日付東京新聞)

およそ全ての我が国の報道機関が速報した。公の場所で李明博が放言したのだ。ウラを取る必要もない。ところが報道各社で微妙に翻訳が異なっている。

「(天皇陛下が)韓国を訪問したければ、独立運動で亡くなった方たちを訪ね心から謝罪してほしい。痛惜の念とか、そんな単語一つで訪ねて来るなら来る必要はない」(8月15日付産経新聞)
▼大不敬暴言吐く李明博8月14日(JNN)
画像

南訛りの朝鮮語からの和訳だ。翻訳者が適当に語尾を変えるなど多少の違いが生じるのは、やむを得ないだろう。朝鮮語から英語を介して和訳したケースも概ね同じだ。

「韓国を訪問したいなら、解放のために戦って亡くなった方々に敬意を表し、謝罪するのがいい」(8月15日付WSJ)

改めて読み返すだけで、頭が沸騰しそうだ…更に、前段で李明博は「日王」と発言している。この特殊ワードもメディアはピックアップするべきである。そこに朝鮮の異常性がクッキリ刻まれているのだ。

これだけも大不敬で、当人は元より末代までの極刑に値するが、報道各社の和訳にも異議が唱えられている。前後にも聞き捨てならない雑言が並んでいたという。

【音声の一部が消えた暴言映像】

李明博の大不敬発言が我が国で波紋を広げ始めた矢先、青瓦台の記者専用サイトは発言内容を一部訂正した。本来はケアレス・ミスで済まない問題だが、記者が書き起す際に間違えたと説明している。

「(李大統領は)『(天皇が)韓国を訪問したがっているが、独立運動で亡くなった方々を訪ねて心から謝るならば来なさい』と言った」
↓訂正後
「(天皇も)韓国を訪問したいのであれば独立運動で亡くなった方々を訪ねて心から謝罪すればよいということだ」

ミステリアスな現象である。オフレコの囲み取材ではない。教員を養成する大学のワークショップの席上で、撮影カメラが回る中、李明博は大不敬暴言を吐いたのだ。
▼島根県内に不法入国8月10日(ロイター)
画像


この訂正を機に「本当は何と言ったのか?」という疑問が持ち上がる。一部の地元紙によると実際は「ひざまずいて謝らねばならない」と発言し、発言録がその部分を削除した報じている。

李明博の発言は映像に収められ、現場には多く聴衆がいた。曖昧な部分はなく、記録から削除しても無駄だ。更に、より酷い表現を用いたとの指摘も出ている。



もう卒倒しそう…こうした指摘が相次ぐのは、我が国の報道機関が発言の証拠映像を紹介していない為だ。前提となる検証作業を怠り、放映した映像も一部がオフ(音声消し)になっている。

詳細不明では報道機関としてお役御免だ。しかも、これまでニュースで放映された「切り取り部分」だけでも疑いが浮上する。それは大不敬発言のコアとも言えるシーンだ。



問題のワンセンテンスはノーカット約14秒である。和訳した文章を、ゆっくり声を出して読んでみると8秒弱だった。李明博は後半で少し噛んでいるが、それを差し引いても4秒以上がブラックホールに直行している。

言語系統の似た日本語と朝鮮語の発声で、倍近い差が出ることはない。報道各社は、この映像を正確にチェックし、元素材を入手しようと努力しているのか。

青瓦台は、実際に発言した映像が公開されているにも関わらず、事後に微調整した。どうも隠蔽の匂いがする…完全な対訳を作成するのは簡単な作業だ。既存メディアが意図的に怠っているように見える。

実際の全発言は、やはり報道されている以上に悪質なものだったのではないか…日韓メディア合作の証拠隠しに日本国内から疑いの目が向けられるのも当然の成り行きだ。

【テロ実行犯に謝罪求める暴挙】

昭和17年4月、上海・虹口公園で開かれた天長節祝賀式典に不逞朝鮮人が乱入、爆弾テロを引き起こした。我が陸軍の白川義則大将閣下ら2人が爆殺され、重光葵外相が右足切断の重傷を負った。

実行犯は、尹奉吉(ユン・ポンギル)。民譚によって金沢市内に慰霊碑が設置されているが、我が国の軍幹部と政府高官ら6人を殺傷した非道鬼畜のテロリストだ。
▼民譚が設置した金沢市内の碑(wiki)
画像

また同じ年の1月には、 尹奉吉と同じ犯罪組織に属する李奉昌(イ・ボンチャン)が、先帝陛下の御料者を狙って手榴弾2個を投げるテロ事件が発声した。もちろん大逆罪で死刑である。

こうしたテロリストを韓国政府や民譚、在日韓国人らは「独立活動家」と呼ぶ。その中には、伊藤博文首相を暗殺した安重根など多くの不逞鮮人が含まれる。

この凶悪テロ実行犯らに対して、李明博は今上陛下に向かって「深く謝罪せよ」と言い放ったのだ。

日本政府にとっても、自国の首相暗殺犯に対して国家元首の謝罪を求めるという外交上、異常すぎる暴言である。しかも李明博は、それが天皇陛下ご訪韓の“条件”だと断言する。
▼大不敬暴言吐く李明博8月14日(ANN)
画像

このセンテンスは、正に宣戦布告にも該当し、2国間の外交関係は瞬時に破綻する。非公式のスピーチだったとついう言い訳も通用しない。他ならない大統領の発言である。

「痛惜の念とか、そんな単語一つで訪ねて来るなら来る必要はない」

そして李明博は、あろうことか今上陛下の詔勅を「鮮人テロリスト」への“謝罪”と結びつけて更に罵倒した。そこが「韓国に外交能力なし」と断言できる部分だ。

【盧泰愚の返礼は戯れ言か】

朝鮮南部の民族集団に対する天皇陛下の詔勅が平成2年5月に発された。国内でも様々な反応が見られたものであるが、その詔勅に対する韓国側の公式な答えは、こうだった。

「わが国と国民に対して友誼に満ちたお言葉を賜りましたことに謝意を表するものであります」

宮中晩餐会における盧泰愚大統領の返礼である。それを李明博は、完全に覆し、呪いの言葉を投げ掛けたのだ。外務省は慌てただろう。暴言・失言のクラスを越えた外交上の大問題である。
▼退任後逮捕された盧泰愚元大統領(東亜日報)
画像

盧泰愚の丁寧な返礼も李明博の大不敬暴言も、大統領自身の言葉だが、問われるのは韓国の「外交の一貫性」だ。外交の最高責任者・意思決定者であっても、簡単にひっくり返すことは許されない。

この一貫性・継続性こそ、外交の基本である。外交通商相が更に理不尽な暴言を吐いたように、李明博はもちろん韓国政府もその点を理解していない。国際的な信用を自ら失墜させる愚行だ。

そして、外交上の原理原則に加え、朝鮮の下半分は、初歩的な外交儀礼も解っていなかった。反日メディアは歴史認識問題を複雑に絡ませるだろうが、構図は非常にシンプルである。

これは独立国家の元首が、非交戦国の元首の発言を中傷し、無実の罪を着せて謝罪を要求。なおかつ、それが今後の元首外交の条件になると一方的に宣言したのだ。
▼武藤大使の帰国は盆休みだった(AP)
画像

「外交儀礼に欠く」といったレベルではない。国際社会が「開戦前夜の最後の挑発」と捉えても不思議ではない事態である。国際秩序の中の外交について、朝鮮人は150年前から何も学んでいない。

【新たな征韓論を国民が唱える時】

「受け入れがたい内容が含まれている」

韓国政府は8月22日、野田佳彦が送った親書の受け取りを拒絶する方針を決めた。征韓論を生み出した「国書の拒否」と同じ言い訳に失笑する。
▼日支南3ヵ国首脳会議5月(ロイター)
画像

果たして我が国は改めて朝鮮人に外交の基礎を教えてやるべきなのだろうか?その答えたは簡潔だ。無理である。かつての李氏朝鮮は明治政府の要請を理解できなかった。

我が国が近代国際法の下に朝鮮の民族集団と国交を結んだのは、明治9年。日朝修好条規の調印である。反日学者は、江華島事件をキッカケにした砲艦外交と断定するが、歴史歪曲も甚だしい。

李氏朝鮮で開国論が浮上したのは、明治7年の台湾征討である。邦人遭難者の虐殺に対する正当な軍事行動。朝鮮側は、我が軍の兵力を知って震え上がった。

同時に、宗主国の清が「台湾を管轄外」として完全な他国扱いする様も目の当たりにした。頼りにする宗主国様は、急速に衰えていたのだ。そして、清側も朝鮮に日本との国交樹立を呼び掛けるに至る。

明治政府の手続きを重んじた近代外交は結局、李氏朝鮮には通じなかった。穏便に出れば、居丈高に…恫喝すれば簡単に屈服。それが朝鮮民族集団との向き合い方なのだ。
▼在京大使館近くでの抗議活動8月16日(AFP)
画像

李明博の狂乱で、我が国が「冷静な対応」を取る必要はない。徹底して高圧的な態度で臨まなければ、連中は増長するばかり。有効なのは、全国民による「朝鮮討つべし」のスローガンである。

朝鮮半島は、今も昔も変わらないユーラシア大陸のド腐れ盲腸。あの民族集団を一国家と見なし、紳士的に接した明治政府の初期の誤りから学ばなければならない。征韓論は正しかったのだ。
▼李明博の暴挙に抗議する国民(ロイター)
画像

未だ朝鮮は上下ともに前近代の無知蒙昧“国家”である。21世紀には21世紀の征韓論が必要だ。

2 件のコメント:

  1. こんにちはですw。
    韓国の「李明博大統領宛ての野田首相の親書」が返送されるのかまだわかりませんが、もしそうなったら、宣戦布告だすw。
    在韓日本大使館前やアメリカの小都市の公園に
    慰安婦像なるものを設置した事で、ミンスのだ政権は、そう認識していなければならなかった。

    いらぬ脂肪を溜め込んだポーク・野田やさかい
    下朝鮮の日本に対する「宣戦布告」である事が
    認識出来ないのでしょうがw。

    メタボは死に直結しまっせwww。

    返信削除
  2. あの連中のdnaはどうしようもないどす。馬鹿ん国。

    メタボのだドジョウは死に直行…ホンマに。

    選挙あったら壊滅。
    spもつかん危険状態。

    返信削除