2010年10月21日木曜日

レイテ激戦の勇士の娘ベッラさん

昨年の10/22の写真

昨年はこの時期春の花のビオラが沢山出回っていた。
今年は苗も小さく数も僅かである。
今日は曇りだった。

30日の日の丸デモに参加できない。
残念である。(心は参加)
ベッラさんのお父上はレイテ激戦の勇士である。
帰還され戦後は商社マンとしてご活躍されたそうである。
そのベッラさんといつか日の丸デモに一緒に参加しようと・・・。
今回は二人とも参加できない。
ベッラさんはお父上が出征の時に祝辞を書いてもらった日の丸を持参するそうである。
大和魂がしみ込んだ日の丸である。
その旗に靖国の英霊達が一緒に行進しそうである。


ジュズサンゴ(今年はまだ実を付けていない)

3 件のコメント:

  1. ベッラ・カンタービレ2010年10月21日 23:51

    ありがとうございます。激戦の勇士のじゃじゃ馬ならぬ「闘牛」でございます。
    丑年でございます。父はその国旗を自分の父母に託して出征しました。
    あと一日、いっしょにいることができたけど、「生きて帰ります」と、あとで葉書を父母に書いた・・・今その葉書を見て、この時の親子の情に胸が熱くなります。
    これが親へのおもいやりだったのか・・・
    終戦は8月だったけど、ジャングルで過ごし12月に投降、それまで父は「戦闘状態」だったのです。帰ってみると母親が病死、その日、父は夕日が招く、と安全なところへ逃れることができたそうです。
    母の愛・・・戦争時の親子の壮絶な愛情です。この国旗は空襲の時も父母が持って逃げました。なにもかも放り出したまま、父の国旗だけを持って。
    そして私の子供の時、弓弦羽神社にお参りしていました。それで覚えています。
    命の国旗です。そしてそれを受け継ぐのはこの「闘牛」、ダイエット失敗中の私です。私っていつも「悲劇から喜劇に」変わるのです。
    さっきブログ更新しました。

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  2. ベッラ・カンタービレ2010年10月22日 0:01

    上の文で「父母」というのは父の「両親」のことです。
    父の母は4月1日に病死、それを知らずにその日、危険なところから、安全な場所に夕日が招いた、と父は言っていました。
    だから私はエイプリルフールは参加していません。この話は辛くて・・・。
    私が子供の時は護国神社にさんらんぼを取りに行ったり大きな大砲が置いてあるのをみたり、そこへよく家族で行きました。
    弓弦羽神社は今と同じ、もっと周りは木が多く静かでした。
    子供のころを思い出します。

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  3. ベッラさんへ

    夕陽がお父上を導き助かった。不思議なお話し信じます。
    投降するまでの間戦闘状態。あのお野田さんもそうだった。
    ベッラさんにはその遺伝子が・・・。
    何にでもし真剣に取り組むベッラさん。
    いつも前向きにね。
    またお会いしたくなったわ。

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